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マイケルジャクソンが亡くなった時

今でもそのニュースを知った時のシーンを覚えている


それなりのショックだったのだ

だってあのマイケルジャクソンだもの


ショックを受けた それはきっといわゆる一般的で世間的なショックだったのだろうけど

しかしジワジワその恐ろしさが身にせまってきた



プリンスはそのときまだ存命だったけど

プリンスと同い年のマイケル 何かと同時に語られることが多かった(当然だ)二人

マイケルの損失は なんということが起こってしまったのだろう

恐ろしくなった



そして今年の1月

デヴィッドボウイが亡くなった


エスむらの親友がデヴィッドボウイのファンで まっさきに頭に浮かんだ

誰かのファンであること  参照



大事な親友が愛していたアーティストだっただけに

悲しみとショックはエスむらにも大きく連鎖した


そして益々恐ろしくなった


愛するものが急にいなくなるということの恐怖を身にしみて感じるには

数ヶ月後のプリンスの死まで100% 120%分かってはいなかったけど



親友は自分のショックもまだ癒えていないうちに起こったプリンスの死という

エスむらの受けた数ヶ月後のショックに対し

エスむらに対し 心をかけ心を寄せてくれた


お互いの状況がとんでもなさすぎて 二人とも多くは語り合っていない  


彼女はエスむらをそっと見守ってくれている  と勝手に思っている


こんなことになって

お互いのショックに対して声をかけようがないから

死の 恐怖の 損失の本質を知ってしまったから




エスむらも情けないことだがまだまだショックに耐えられず自分のことに一杯いっぱいで

こんなブログで感情を吐き出すことしかできていない



マイケルの ボウイの死に対して

喪失とは という本質をプリンスにより知ってしまい

少しながらここに綴ったところ

適当なこと言ってゴメンやで  参照

マイケルのファンのある方がエスむらにメッセージをおくってくださった



マイケルが亡くなったとき

プリンスに色々なものを託した人はきっと沢山いただろう (もちろんマイケルのファン全員がとはいってない)

ファンになって乗り換える という意味ではもちろんない

車じゃないんだから


このどうもならん想いというものを

プリンスに託した人もいるだろう ということ




マイケルの死後 すぐはそんなこと気がつきもしなかったが

しばらくすると何となく分かりだした


マイケルの分も 偉大な先人たちの分も プリンスはきっと心に背負って

よっしゃ

ってつもりでやってるはずだ と

本物の音楽 本物のミュージシャン  参照



そしたらこうだ こんなことになってしまった



そのときのマイケルファンの方の気持ちは どんなだったろうか


自分たちが辿った苦しく辛い どうにもならない喪失感が よく分かるからこそ

きっとプリンスのファンである我々に心を馳せてくれたに違いない

痛みを知る者は同じ痛みを感じる者に寄り添える


そのメッセージを送ってくれた方はマイケルの死から今まで長い長い時間ブログを書いておられたようです


ブログをとても読みたい



とても読めない 読めやしない



もう一度 愛する人の死を知ったショック状態の心の推移をなぞることは

今はあまりに酷すぎる 恐ろしすぎる 重すぎる




もっとエスむらが落ち着いてから読めるのかなと思ってますが

それは5年後か10年後か


けれどこの苦しい心の内を判り 寄り添ってくださってることだけは分かっている



私も今なら本当にわかるから

マイケルファンの方にも ボウイのファンの方にも寄り添える


マイケルやボウイやプリンスに限らず

世界的なスターに限らず


身近な愛する存在を亡くした人に対して

心を馳せて 寄り添える 寄り添いたい




それしかできないけど

プリンスファン という「失った」者の立場から見て

目線をこちら側にして眺め感じてみると

そうして欲しい と思うから



心を馳せ 心に寄り添う

それも一時の感冒のような感傷的な気分でなく

永続的に 敬意を持って故人を感じたい




エスむらもそうしたい


そうありたいと思うのです






※ まさにこれを書いていた最中にボウイのファンだと思われる方からコメントをいただきました

  大変驚きました

  寄り添う想いが連鎖し繋がっているのだと感じます





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