見えないものをずっと追って

ニール・カーレン氏によるプリンスの本 PRINCE Forever in my life を読んだ
全527ページ
冒頭二文を読んで これはあかん まだ読まれへん と言った舌の根も乾かぬうちに
確か一日あけた程度で読み始めてしまった
無意識に本棚(プリンス棚)から手に取って無意識に開き無意識に読み始めてた
ツイートで装丁が美しいと聞いていたので見てみると
カバーの美しさ 所々に散りばめられた文章の重さが素晴らしいのはもちろんのこと
そのカバーを取ってみるとその内装の美しさにも納得いった
プリンスの紫色 この紫色はギラギラとしておらず色合いも質感も冷静で落ち着いている
仏教の法衣 袈裟の色のようだ
その紫の表紙を開くと中は漆黒
そしてその先にも漆黒の地にいぶした渋い銀色のフォントで「PRINCE Forever in my life」の文字
落ち着いた紫と闇のような黒
プリンスそのもののような気がする
数々のプリンスの写真を静かな展覧会の会場の中をゆっくり歩いて見ていくように進めると
前奏曲 プレリュードにたどり着く
文章が始まる
そしたら止められなくなっていた
止められるかプリンスの本なんか
プリンスは読み始めると 聴き始めると 見つめ始めるともうやめられないのだ
知ってただろうが
いつものことだろうが
昨日の夕方から読み始め夜中1時半くらいで読了した
ご飯も食べずトイレにも気付かず(行け)
一気に527ページ
プリンスに向き合う時は食べるとか寝るとかなんか生きるための必要な本能がそがれる
プリンスにしかこの情熱と労力は発揮できん
他では無理 死んじゃう
読み終えた後の心
置いておいたら味わい方も見え方も変わってくる
鮮度第一主義で書いて出してしまおう
あとどう変化しようがしらん
推敲も検証もしないぞう いつものことだぞう
|見えないものをずっと追って
私は見えないものを見ようとずっと追ってきたのだ
分かってた
そんなことは分かってたよプリンス
あなたを追うことは何も確信なんて持てないものを追うような事だ
実体がないのだもの
何年もプリンスを聴いてきて
何年も彼が頭の中にいた
彼に囚われ捕らえられてよかった
私はプリンスに絡め取られ本当に幸せだったのだ
私がプリンスについて知ったこと
信じて断定したもの(事実とかそういったものじゃない)
それらはやはり(そう やはり)幻であったのだろう
彼に実体はない
彼のあれこれは幻なんだ
けど
それでも
私が感じているプリンスへの思いは確かなのだ
私はプリンスの音楽が好きなのだ
痛ましく無茶苦茶
強くて儚くて
傲慢で誠実で
悲しくて弱い
プリンスの話
読み始めるのに相当時間がかかると思ってたが
案外早くその開始の儀は始まった
はじめてしまったらやめることなんてできないんだよプリンスは
彼の音楽だってそうじゃん
どれだけ強烈でキツかったとしても
聴き始めたら最後 もう止まらなくなる 終われなくなる
彼から目を離せなくなる
作者とプリンスという登場人物が紡ぐ「物語」を読んでるような気持ちになっていった
文字が紙から少し浮いたように感じられる
浮いた字を私はずっと読んでいた
主に読み進めに散々泣いた
ティッシュの山ができ 一箱空いてしまった
途中も終盤ももちろん涙は出る時はあったが
それでも冷静に最後まで読み進めた
感傷的な気分はできる限り排除したような
プリンスの本当の友達ニール・カーレン氏が書いたこの本
ニール氏から見た友達プリンスのお話だから
史実とか証拠とか歴史的事実とかそんなんじゃないとは思う
嘘はなくても これはニール氏とプリンスの話だからここに書かれてるものに巻き込まれることはないとは思う
彼から見た「本当の」プリンスという人
史実として信じるのとは違う感覚で
だからこそこれは真実なんやろな と思って読んでいた
本書一番最後のニール氏のはっと気付いたような言葉をプリンス本人に読んでもらいたかった
はじめてのプリンスへのインタビュー音声を彼が他界してから3年経った頃に著者のニール氏が聞いたとき
彼はもはやプリンスがどんな風に話したか思い出せずにいたが
プリンスのその声を聞いた時の大事なものを思い出し愕然としたような気持ちの描写でこの物語は終わっている
「僕の知っている声」
「友達の声だ」
プリンスのことを僕の友達と思ったり言ったりなんてそんなはばかられること できやしない
著者はずっと一貫して本書でそう語ってるが
プリンスはニール氏の友達だったのだ
そしてプリンスもニール氏のことを数少ない友達として思っていたのだろう
切ない 陳腐な言葉だが切ない物語だった
プリンスの人生
心が苦しくなる 彼の人生なんて胸がぎゅーっとするような物語になるに決まってる
だからってそれは悲劇でもないさ ドラマチックとかロマンチックメランコリックとかでもない
いや でも
やっぱり悲劇なのかもしれない
|プリンスのミネアポリス
ミネアポリスのプリンス
ミネアポリスという単語は私たちプリンスファンには神聖な響きすら感じさせるが
そのミネアポリスについてここではボロクソに書かれてある
ボロクソに書いてるのはミネアポリス出身の著者
果てしなくクソミソに描かれているが 読んでみたら実際クソミソなところだった
しかし著者もプリンスもやはりミネアポリスを愛しているのだ
ミネソタ州ミネアポリスは「あなたの心にあるペイズリーパーク」なんかではなかったのね
なんとなく 遠く離れた異国の地からほんとになんとなくうっすら感じていた違和感
(行ったこともないのに)
ミネアポリスからはプリンスへの熱狂的で親密な愛を感じない
穏やか という言葉で自分をだまそうとしていた それは優しさなのだと
でも
白々しさがどうしてもただよう
ファーストアベニューとかあそことかあそことか ピンポイントで熱いスポットや熱い人はいるだろうそりゃそうだろう
読んだから感化されただけ? まあ感化されやすいしな
でも
プリンスへの熱さがあんまり伝わらないミネアポリス
(行ったことないくせにごめん けど)
ほんとにあのプリンスを丸ごと受け止め包み込むところなのだろうか?
あのプリンスを?
この他人行儀感てなんなんだろう?
彼を包み込みも受け止めもしない疎外感
きっと「田舎なんだ 真の文化的な文化を受け入れられない理解できない巨大な田舎」
建前と偽善 ミネソタ・ナイス
閉ざされた 開く気のない心を持った 巨大な田舎
その異質なものを静かに無視するような居心地の良さを
出身者の二人(著者やプリンス)は愛しもしたのか 分からん うーん分からん
ミネソタ州ミネアポリスの人間でもアメリカ人でもないし
本当に縁もゆかりも歴史的にもなんの繋がりもきっと文化的社会的理解もない日本という国の一介のこんな端っこも端っこの一市民(私)が
なぜこうまでもプリンスに魅了され
プリンスを思い続け
プリンスのために泣いているのだろうか?
と本を読み進めるほどにそう思った
私は最初から
彼の音楽に意味なんて求めなかったし
実際意味なんてなかった
これはどれだけ叩かれようとも私のマジの感覚だ
意味なんてないのだ 彼の音楽に
彼のやることに意味なんか求めなかったし救いを求めなかった 意味や救いなんて無かったから
でも彼の音楽は素晴らしく 求めた 求めずにはいられなかった
プリンスの音楽を聴くということは意味があったし救いになっていたから(ほらまた恐ろしいほどの矛盾)
誰も彼のことを分からないし語れない
どれだけ自分のプリンスがあっても誰も完全な形にすることはできないのだ
だからまあ私のやってきてる10年間のプリンスへのグダグダ感情垂れ流しブログも正しい形のひとつなのかもしれない
私は私の感性でしかプリンスをとらえられない
私の感性で彼をとらえる
それしかできないからそうやってきたのはもう必然だったんだ
だって私をとらえた彼は「プリンス」なのだから
難しすぎる
恐ろしいほど
魅力的というには強烈すぎる 魅力的なんてやわい言葉では強烈すぎる人 プリンス
彼は悲劇なのか
幻だろうけど私だけのプリンスがいる
それを追い続ける
そうせずにはいられないから
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